昔で言う下山口字春道、今の下山口会館近く墓地の隣に「銭塚地蔵尊」があります。
「摂津名所図会」や「摂津志」によりますと、「昔有馬郡山口村に山口某という者がいた。その妻は賢婦の誉れ高く、貧しい暮らし向きであった頃垣根を修繕しようとして穴を掘ったところ多くの銭が出てきた。夫人はその話を聞いて、『武士たる者が勤めずして禄を得ることは家門の災であるように、ましていわれのない財を得ることは、自分としてはできない、その銭はもとのまま土中に埋めなさい』と厳命し、それを二人の子にも見せてたしなめたという。後二人の子供は立身し、その銭を埋めた塚の上に地蔵尊を建立して母の戒めとして供養した」という。
公智神社手水鉢の刻銘でご紹介した山口庄兵衛尉正信という人物は江戸住まい、また江戸の浅草には同じく銭塚地蔵尊が祀られており、この話とのつながりを感じさせます。そしてこの山口某氏と地元の英雄山口五郎左衛門時角との関連については定かでないものの、地元の人たちの歴史のロマンをかき立てているのは確かなようです。