今日は地元の小学校5年生が近所の田んぼを借りて田植えを行います。これは私の子供の頃にもなかったことで、よい試みだと思いますが、逆に言えば当時の我が地元では農作業が余りに当たり前すぎてわざわざ学校で教える必要もなかったから?
漠然と日本は稲作の国という感覚がありますが、そのルーツは日本書紀に「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」として、天照大神が「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の穂を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」とニニギノミコトに託したという、日本の建国の根本にまで遡る由緒があります。現代において、天皇陛下が自ら田植えをなさるのも、こうした理由があるのです。
つまり、日本人にとって稲作は単に耕作物の一種ではなく特別な意味を持つということなのです。
このことを柳田国男は「海上の道」にて別の視点から更に印象的に考察しています。我々の祖先が生来の地から稲作の技術を携え、南海の小島を経て、あえて長い過酷な船旅に出てまで稲作に適した平地を持つ日本をいわば約束の地と求めた、という仮説です。地域による気候差の激しい日本各地で、同じような農耕儀礼の日程をけなげにも守り続けた日本人は、出発した父祖の地のしきたりを大事に守り続けたということです。斎庭の稲穂の神勅の、民俗学的解釈と言えるのかも知れません。