11月3日は「文化の日」でお休みです。文化祭のシーズンでもあります。祝日法には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と書いてあるのですが、何に由来するのかはわかりません。もともとこの日は何の日だったのでしょうか。
明治元年(1868)、旧暦9月22日の明治天皇御誕生日が「天長節」と名付けられました。その後同3年の太政官布告により祝日と定められます。ついで明治6年(1873)の正月から新暦を採用したことに伴い、天長節は11月3日に改められます。同年10月には祝日は「休暇日」と定められました。大正時代に入ると11月3日は祝日から除かれますが、先帝陛下を追慕敬仰する機運が高まり、大正9年に明治神宮が創建され、また大正14年に国柱会代表田中智学氏等が「明治大帝ノ御偉業ヲ永久ニ紀念感戴スル為メ、国家的祝日ヲ制定スベキ請願」を呼びかけ、昭和二年にあらためて「明治節」として祝日に加えられたのです。
しかし、戦後GHQの占領下の昭和23年に成立した「祝日法」では明治節は「文化の日」として何とか残されたものの、前述のように「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という抽象的な文言となり、本来の意味がわからなくなってしまいました。これは残念なことだと私は思います。日本の歴史上特筆すべき明治という時代に我々の先人達が成し遂げた立派な業績を偲ぶためにも、この日の由来を知っていただきたく思います。(参考文献:「日本の祝祭日を考える」展転社)