ご存じのように、日本には和歌という文学形式があります。
三十一文字で表現するその形は、大昔から変わっていません。
日本の国歌「君が代」も、
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
という平安朝より伝わる日本の古歌に和風の旋律をつけたものです。このように、和歌は歴史が古いにもかかわらず現代になお生きており、日本を代表する、世界に誇るべき芸術なのです。しかも「万葉集」等を見れば、決して上流階級だけのものではなく一般庶民に至るまで広く詠まれており、いかに我が国の人々が和歌を愛していたかがよくわかると思います。
さて、須佐之男命は和歌の神様とも言われています。それは何故でしょうか?
それは、日本の神話を記録した「古事記」の中で、須佐之男命が初めて三十一文字の歌を詠まれたことが記されているからです。その歌を以下にご紹介します。
高天原を追われて出雲の国の肥の河の川上、鳥髪というところで嘆き悲しむ老夫婦とクシナダヒメに出会った命は、一計を案じて恐ろしいヤマタノオロチを退治します。そして姫と新居の宮を造るべく出雲の国の須賀という地においでになった命は、「私はここに来て気分がすがすがしい」と仰せられて、ここに新居の宮を造ってお住みになりました。須佐之男命が初めて宮をお造りになったとき、その地から盛んに雲が立ちのぼったので、
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
(盛んに湧き起こる雲が、八重の垣をめぐらしてくれる。新妻をこもらせるために、八重垣をめぐらすことよ。あのすばらしい八重垣よ。)
と御歌をお詠みになったのです。これが古事記における和歌の最初であり、須佐之男命が和歌の神様と言われる所以です。