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	<title>公智神社 &#187; お話</title>
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	<description>兵庫県西宮市山口町鎮座・木の祖神・延喜式内公智神社のご案内</description>
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		<item>
		<title>終戦の日を前に</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Aug 2007 10:33:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>

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		<description><![CDATA[参議院選挙で惨敗した安倍内閣の閣僚は今年誰も8月15日に靖国神社を参拝しないそうです。 昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効後も、国際慣例を無視した「東京裁判の判決（裁判ではありません）を受諾する」という条項の元、受 ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>参議院選挙で惨敗した安倍内閣の閣僚は今年誰も8月15日に靖国神社を参拝しないそうです。</p>
<p>昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効後も、国際慣例を無視した「東京裁判の判決（裁判ではありません）を受諾する」という条項の元、受刑者は服役を余儀なくされていました。<br />
同年に成立した「戦傷病者戦没者遺族等援護法」によって戦争裁判による拘禁中の死亡者や傷病者は一般の戦没者、戦傷病者と同じ扱いを受けることになりました。</p>
<p>また、昭和28年同法の一部改正により旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人でも日本の国内法では罪人と見做さないという判断基準が明示されたことを私たちは忘れてはなりません。</p>
<p>当時遺族援護法を熱心に推進した右派社会党の堤ツルヨ代議士は衆議院厚生委員会にて、処刑されてしまった人々の遺族が「未帰還者留守家族（拘禁受刑者の家族がこれにあたる）」にあたらないため国家の補償を受けられないことの矛盾を突き、しかもその英霊は<strong>「靖国神社の中にさえも入れてもらえない」という遺族たちの嘆きを堂々と訴え</strong>、結果第16特別国会において自由党・改進党・右派、左派社会党と与野党含め全会一致で法改正が可決されたのです。</p>
<p>このように、日本独立後すぐに、先人たちは彼らの名誉回復を真っ先に行った、しかもそれが当時の国民の総意であったことを忘れてしまってはなりません。</p>
<p>私は上京の際は出来るだけ靖国神社へお参りする機会を作るようにしていますが、今年も8月15日に参拝するつもりです。</p>
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		<item>
		<title>世界最古の共和国は？</title>
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		<pubDate>Tue, 26 Jun 2007 06:09:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[サンマリノ]]></category>
		<category><![CDATA[世界最古]]></category>
		<category><![CDATA[共和国]]></category>

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		<description><![CDATA[神社新報6月25日号に興味深い記事が載っていました。 現存する世界最古の共和国はどこかご存知でしょうか。 西暦301年建国のキリスト教国でイタリア半島の中部に位置し、面積61平方キロメートル、人口約3万人のこの歴史ある小 ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.jinja.co.jp/">神社新報</a>6月25日号に興味深い記事が載っていました。</p>
<p>現存する世界最古の共和国はどこかご存知でしょうか。<br />
西暦301年建国のキリスト教国でイタリア半島の中部に位置し、面積61平方キロメートル、人口約3万人のこの歴史ある小国とはサンマリノ共和国のことです。<br />
同国のマンリオ・カデロ駐日大使が4月に伊勢の神宮を参拝され、それを受けてのインタビュー記事が掲載されていました。</p>
<p>氏は西洋のキリスト教会と日本の神社の違いについて、</p>
<blockquote><p>キリスト教は神道より装飾的です。どうしてかといふと、昔は一般の人々は字が読めなかったからです。神父さんが絵を使って、キリストがかういふ大変な状態になった、次はかう、その次はかうと説明する。だから、装飾的になったのです。聖像が多い。想像し易くするといふことが、根底にあります。<br />
それに比べ、神宮は特にさうですが、神道全般にシンボルが余りなく、神々が自然のそのままに感じられます。太陽、月、空、気、風、雨、海、山、木に神が宿ってゐる。私も神様はネイチャーだと思ひます。</p></blockquote>
<p>と述べておられます（誌面は旧仮名遣い）。<br />
日本の神社が装飾的な西洋の教会と違って総じてシンプルで恭しい雰囲気があること、また西洋の王宮と日本の御皇室の宮殿の違いにも通じるところがあるということだそうです。<br />
同じく長い歴史を持つ国同士、お互いの伝統文化を尊重され、それだけに近年の日本人が旧来の美徳を失いつつある風潮を残念に思われているようです。</p>
<p>そのサンマリノ共和国では、神武天皇の御肖像を用いた金貨が10月頃に作られるそうです。なんでも西洋で漢字の刻まれた金貨が作られるのは初めてのことだそうで、また来年には伊勢の神宮をモチーフにした銀貨も作りたいということでした。</p>
<p>「日本の国は君主国であり、2667年続いている」とギネスブックに載っていることを、この記事を読んで、外国の大使の方に教えられて、恥ずかしながら初めて知りました。</p>
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		<title>Encyclopedia of Shinto</title>
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		<pubDate>Sat, 23 Jun 2007 05:56:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[Encyclopedia]]></category>
		<category><![CDATA[Shinto]]></category>

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		<description><![CDATA[Encyclopedia of Shinto: http://eos.kokugakuin.ac.jp/ The online Encyclopedia of Shinto is the English translat ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>Encyclopedia of Shinto: <a href="http://eos.kokugakuin.ac.jp/">http://eos.kokugakuin.ac.jp/</a></p>
<blockquote><p>  The online Encyclopedia of Shinto is the English translation of the Shinto jiten edited by the Institute for Japanese Culture and Classics and published by Kobundo in 1994 (the text as translated here reflects certain emendations to the original Japanese version). Links to video images, illustrations, photographs and sound files have been added anew.<br />
  The original Shinto jiten is the most widely used general work of reference regarding Shinto in Japan today. It is our hope that by introducing the results of modern Shinto research through this medium, we will contribute in some way to the further growth of international research on Shinto and Japanese culture. We hope it finds use not only by scholars, but by students and others with an interest in Japan.<br />
  This project is one element of the Kokugakuin University 21st Century Centers of Excellence Program, &#8220;Establishment of a National Learning Institute for the Dissemination of Research on Shinto and Japanese Culture&#8221; under the auspices and support of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology.<br />
Inoue Nobutaka<br />
Project Leader<br />
March,2005
</p></blockquote>
<p>Also includes chapter introductions in Chinese or Korean etc.</p>
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		<title>延喜式内社</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Apr 2007 04:30:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[国幣社]]></category>
		<category><![CDATA[官幣社]]></category>
		<category><![CDATA[延喜式]]></category>
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		<category><![CDATA[神名帳]]></category>
		<category><![CDATA[神祇官]]></category>

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		<description><![CDATA[延喜式内社とは、延喜式（延長五年・西暦927年制定）神名帳（延喜式巻九・巻十）に記載された、祈年祭に奉幣に預かる神社、即ち官幣社・国幣社併せて3132座の神社のことをいいます。官幣社とは神祇官より例幣を奉る神社、国幣社と ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a class="imagelink" href="http://kuchijinja.jp/web/wp-content/uploads/2007/04/dscf0350.jpg" title="公智神社扁額"><img id="image150" src="http://kuchijinja.jp/web/wp-content/uploads/2007/04/dscf0350.thumbnail.jpg" alt="公智神社扁額" /></a><br />
延喜式内社とは、延喜式（延長五年・西暦927年制定）神名帳（延喜式巻九・巻十）に記載された、祈年祭に奉幣に預かる神社、即ち官幣社・国幣社併せて3132座の神社のことをいいます。官幣社とは神祇官より例幣を奉る神社、国幣社とは国庁（武蔵国、山城国等の国司の庁）より幣帛を奉る神社をいい、それぞれ大社と小社とに分かれています（明治以降の官幣社・国幣社等の近代社格制度とはまた別物）。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>六曜について</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Mar 2007 03:55:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[六曜]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p>我々神職にとっては曜日の感覚もさることながら、六曜についてもある程度意識せざるを得ません。しかしそれは六曜を信じているからというよりも、それによって忙しさが変わってくるから、という受け身な理由によるものです。何か予定を立てる時に「この日は大安だからはずして」とか「仏滅だからこの日にしよう」と言った具合です。おかげで神社関係の集まりはかえって日柄の良くないと言われる日の方が多かったりします。そういうわけで私は自分の結婚式も確か大安や友引のような日は避けたのでした。そういう日に招待されると普通は「お日柄も良くて」とお祝いするところですが内心「こんな忙しい日に・・」と陰口を叩かれることも無きにしもあらず（かどうかはわかりません）。</p>
<p>そもそもこの六曜とは中国由来と言われていますが、日本へ入ってからその内容を大きく変え、現在の形になったのは江戸時代も後半になってからだそうです。日の吉凶を見るものとしては他にも十二直や二十八宿と呼ばれるものがありますが、現在ではこの六曜が最も一般的であります。</p>
<p>私としてはこの六曜について積極的に信じていただこうとは思いませんので、ごくごく一般的なことのみをご説明します。質問を受けた時にも、「こういう風に言われています。もし気になさるのでしたらご参考までに」と答えておりますので、そのようにお受け取り下さい。</p>
<p>先勝（せんしょう・さきかち）　午前中は吉<br />
友引（ともびき）　朝夕は祝事に吉<br />
先負（せんぷ・さきまけ）　午後は吉<br />
仏滅（ぶつめつ）　万事に凶<br />
大安（たいあん・だいあん）　万事に吉<br />
赤口（しゃっこう・しゃっく）　正午頃のみ吉</p>
<p>もちろん、一生に一度のお祝い事の機会に出来るだけ良い日を選びたいというお気持は充分ご理解できますし、仮に本人は良くとも周りの人が気にされるということもありますから、皆に気持ち良くお祝いしていただける日を選ぶということを第一に考えて日時を設定して下さい。最近では六曜に関係なく土曜日・日曜日を選ばれる方も多いようです。</p>
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		<item>
		<title>銭塚地蔵尊</title>
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		<pubDate>Fri, 16 Mar 2007 02:35:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
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		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[山口五郎左衛門]]></category>
		<category><![CDATA[摂津名所図会]]></category>
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		<category><![CDATA[浅草]]></category>
		<category><![CDATA[銭塚地蔵尊]]></category>

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		<description><![CDATA[昔で言う下山口字春道、今の下山口会館近く墓地の隣に「銭塚地蔵尊」があります。 「摂津名所図会」や「摂津志」によりますと、「昔有馬郡山口村に山口某という者がいた。その妻は賢婦の誉れ高く、貧しい暮らし向きであった頃垣根を修繕 ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昔で言う下山口字春道、今の下山口会館近く墓地の隣に「銭塚地蔵尊」があります。</p>
<p>「摂津名所図会」や「摂津志」によりますと、「昔有馬郡山口村に山口某という者がいた。その妻は賢婦の誉れ高く、貧しい暮らし向きであった頃垣根を修繕しようとして穴を掘ったところ多くの銭が出てきた。夫人はその話を聞いて、『武士たる者が勤めずして禄を得ることは家門の災であるように、ましていわれのない財を得ることは、自分としてはできない、その銭はもとのまま土中に埋めなさい』と厳命し、それを二人の子にも見せてたしなめたという。後二人の子供は立身し、その銭を埋めた塚の上に地蔵尊を建立して母の戒めとして供養した」という。</p>
<p><a href="http://kuchijinja.jp/archives/79">公智神社手水鉢の刻銘</a>でご紹介した山口庄兵衛尉正信という人物は江戸住まい、また江戸の浅草には同じく銭塚地蔵尊が祀られており、この話とのつながりを感じさせます。そしてこの山口某氏と地元の英雄山口五郎左衛門時角との関連については定かでないものの、地元の人たちの歴史のロマンをかき立てているのは確かなようです。</p>
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		<item>
		<title>敬神生活の綱領</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2007 02:02:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[教義]]></category>
		<category><![CDATA[敬神生活の綱領]]></category>
		<category><![CDATA[神社本庁]]></category>
		<category><![CDATA[神社神道]]></category>

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		<description><![CDATA[神社本庁では、以下を綱領として掲げています。 敬神生活の綱領 神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基（もとい）である。神慮を畏（かしこ）み、祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進 ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>神社本庁では、以下を綱領として掲げています。</p>
<p><strong>敬神生活の綱領</strong></p>
<p>神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基（もとい）である。神慮を畏（かしこ）み、祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて、向ふところを明らかにし、実践につとめて、以て大道を宣揚することを期する。</p>
<p>一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、<br />
　　明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。<br />
一、世のため人のために奉仕し、<br />
　　神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。<br />
一、大御心をいただきて、むつび和らぎ、<br />
　　国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。</p>
<p>神社神道には「教義」がないとよく言われていますが、「綱領」があるのです。<br />
神社には初めから「制定教義」というようなものはないが、神社信仰として古来尊重されてきた要点を列記して、実践の規範とすべきであるという考えに基づくものです。<br />
この綱領は神道教学そのものではなく、「生活」という語句からわかるように神社信仰における実践生活の規範を示したものであるところに特色があります。<br />
文章は短く簡潔ですが、神道精神のエッセンスが凝縮された内容です。</p>
<p>この「敬神生活の綱領」は我々神道人が集って式典等の折りには必ず唱和するので神職なら必ず暗唱できるくらい親しみのあるものですが、一般的には神事の際にも聞かれずあまり馴染がないのではないでしょうか。しかしその内容は単に神職に向けられたにとどまらず、全てのひとにとって道となり、日常生活に役立つものとなっています。</p>
<p>神道について単に知識を深めるだけでは大道に近づいたとは言えません。生活の中で実践すること、その内に進む道があります。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>須佐之男命と和歌</title>
		<link>http://kuchijinja.jp/post/63</link>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2007 01:47:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[古事記]]></category>
		<category><![CDATA[君が代]]></category>
		<category><![CDATA[和歌]]></category>
		<category><![CDATA[須佐之男命]]></category>

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		<description><![CDATA[ご存じのように、日本には和歌という文学形式があります。 三十一文字で表現するその形は、大昔から変わっていません。 　日本の国歌「君が代」も、 君が代は　千代に八千代に さざれ石の　巌となりて　苔のむすまで という平安朝よ ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ご存じのように、日本には和歌という文学形式があります。<br />
				<br /> 三十一文字で表現するその形は、大昔から変わっていません。<br />
				<br /> 　日本の国歌「君が代」も、</p>
<pre>
    君が代は　千代に八千代に
        さざれ石の　巌となりて　苔のむすまで
				</pre>
<p> という平安朝より伝わる日本の古歌に和風の旋律をつけたものです。このように、和歌は歴史が古いにもかかわらず現代になお生きており、日本を代表する、世界に誇るべき芸術なのです。しかも「万葉集」等を見れば、決して上流階級だけのものではなく一般庶民に至るまで広く詠まれており、いかに我が国の人々が和歌を愛していたかがよくわかると思います。</p>
<p> 　さて、須佐之男命は和歌の神様とも言われています。それは何故でしょうか？</p>
<p> 　それは、日本の神話を記録した「古事記」の中で、須佐之男命が初めて三十一文字の歌を詠まれたことが記されているからです。その歌を以下にご紹介します。</p>
<p> 　高天原を追われて出雲の国の肥の河の川上、鳥髪というところで嘆き悲しむ老夫婦とクシナダヒメに出会った命は、一計を案じて恐ろしいヤマタノオロチを退治します。そして姫と新居の宮を造るべく出雲の国の須賀という地においでになった命は、「私はここに来て気分がすがすがしい」と仰せられて、ここに新居の宮を造ってお住みになりました。須佐之男命が初めて宮をお造りになったとき、その地から盛んに雲が立ちのぼったので、</p>
<pre>
    八雲立つ　出雲八重垣
        妻ごみに　八重垣作る　その八重垣を
				</pre>
<p> 　（盛んに湧き起こる雲が、八重の垣をめぐらしてくれる。新妻をこもらせるために、八重垣をめぐらすことよ。あのすばらしい八重垣よ。）<br />
				<br /> と御歌をお詠みになったのです。これが古事記における和歌の最初であり、須佐之男命が和歌の神様と言われる所以です。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>塩津神社と山口の竹細工</title>
		<link>http://kuchijinja.jp/post/59</link>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2007 01:27:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[塩土翁]]></category>
		<category><![CDATA[塩津神社]]></category>
		<category><![CDATA[彦火々出見命]]></category>
		<category><![CDATA[竹細工]]></category>
		<category><![CDATA[豊玉姫命]]></category>

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		<description><![CDATA[有馬温泉へ行かれたことはあるでしょうか？色々なお土産の中に、竹細工があったのを覚えておられる方があるかも知れません。昔から、山口は有馬温泉で売られていた有馬籠の産地だったのです。徳川末期、大阪商人によって長崎港から初めて ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>有馬温泉へ行かれたことはあるでしょうか？色々なお土産の中に、竹細工があったのを覚えておられる方があるかも知れません。昔から、山口は有馬温泉で売られていた有馬籠の産地だったのです。徳川末期、大阪商人によって長崎港から初めてオランダへ輸出するようになり、明治八年に神戸港製茶取扱商館が製茶の外装箱に竹籠を利用することを考案し、その製造を有馬に求めましたが、有馬の土産物製品技術と異なるので山口がこの注文を受けて貿易の端緒をつかみました。こうして有馬温泉の土産物から貿易品へと発展した竹籠は改良に改良を加え、その組み方も鎧とじ・菱木・手筋等から、明治二十年頃には花籠、針刺し、瓶入れ、買物籠などの日用家庭品にまで発展し、その需要も大幅に増加して、明治三十年ごろには竹材に柳、経木を交え、さらに編方、意匠などにも考案工夫し、染色技術も施して美術品的な価値まで向上し、山口籠は一躍国の内外に高まりました。</p>
<p> 　明治末期から国内向けはもちろん、輸出品として遠くはヨーロッパ、東南アジア等へも輸出していましたが、第二次世界大戦で一時中断し、もっぱら国内向けの実用品の生産に重点を置きました。そして戦後海外貿易の再開によって再び活発となり、アメリカ方面へ大量に輸出されました（「山口村誌」より）。プラスチック製品の普及により製造は減少しましたが、芸術的な高度の伝統技術は現在も注目されています。</p>
<p> 　さて、公智神社には、塩津神社（しおつじんじゃ）という境内末社がございます。昭和27年11月、有馬竹製品商工企業組合の事業として、滋賀県伊香郡塩津村塩津神社より御分霊をいただき、竹籠業者の守護神としてお祀りされ、毎年5月13日には「竹まつり」が行われています。ここにお祀りされている神様は、「塩土翁（シオツチノオキナ）」「彦火々出見命（ヒコホホデミノミコト）」「豊玉姫命（トヨタマヒメノミコト）」の三柱ですが、そのうち塩土翁が竹籠の神様です。この三柱の神様は有名な「海幸彦・山幸彦」のお話に登場します。</p>
<p>　ホヲリノミコト（彦火々出見命）は山幸彦として山にいる獣をとり、兄のホデリノミコトは海幸彦として海の魚をとって暮らしていました。ある時ホヲリノミコトが兄に「それぞれの道具を交換して使ってみよう」と言われました。兄のホデリノミコトは許さなかったものの、やっとのことで取り替えることができました。ホヲリノミコトは漁具を用いて魚をお釣りになったものの一匹もとることができず、その上釣り針を海に失ってしまわれました。兄のホデリノミコトが「山の獲物も海の獲物も自分の道具でなければとることは出来ない。今はそれぞれ道具を返そう。」と言われたとき、ホヲリノミコトは「あなたの釣り針は魚を釣ろうとしたが一匹も釣れなくて、とうとう海になくしてしまいました」とお答えになりました。しかし兄はむりやりに返せと弟を責めました。そこで弟は身につけていた剣を砕いて五百本の釣り針を作って償おうとされましたが、兄は受け取りませんでした。また千本の釣り針を作って償われましたが受け取らず「元の釣り針を返してくれ」と言うのみでした。</p>
<p> 　こうして弟のホヲリノミコトが泣き悲しんで海辺におられたときに、塩土翁がやって来て「あなた様の泣き悲しんでおられるのはどういうわけですか」と尋ねました。ホヲリノミコトは答えて「兄と釣り針を取り替えて、その兄の釣り針をなくしてしまったのです。ところが兄が釣り針を返せというので、たくさんの釣り針を作って償おうとしたのですが、受け取らないで『やはり元の釣り針を返せ』と言うので泣き悲しんでいるのです」とおっしゃいました。</p>
<p> 　そこで塩土翁は「私があなた様のためによい計画を立てて差し上げましょう」と言って、早速竹を隙間なく編んだ籠の小舟を造り、その船にホヲリノミコトを乗せて、「私がこの舟を押し流しましたら、しばらくそのままお進みなさい。よい潮路があります。その潮路に乗ってお進みになったなら、魚の鱗のように家を並べた宮殿があり、それがワタツミノ神の宮殿です。その神の宮の門においでになれば、傍らの泉のほとりに神聖な桂の木があるでしょう。そしてその木の上にいらっしゃれば、その海の神の女があなたのお姿を見て、取りはからってくれるでしょう」と言いました。</p>
<p> 　この後、海の宮殿で火々出見命は豊玉姫に出会います。古事記の中で最も美しく、詩情豊かと言われるこの物語、是非ご自分で読んでみて下さい。 塩土翁は困っている火々出見命のために竹の舟を造り、また知恵を授けたことから知恵の神様としても知られています。</p>
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		<title>文化の日って？</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2007 01:15:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>禰宜</dc:creator>
				<category><![CDATA[お話]]></category>
		<category><![CDATA[豆知識]]></category>
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		<category><![CDATA[明治天皇]]></category>
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		<category><![CDATA[祝日法]]></category>

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		<description><![CDATA[11月3日は「文化の日」でお休みです。文化祭のシーズンでもあります。祝日法には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と書いてあるのですが、何に由来するのかはわかりません。もともとこの日は何の日だったのでしょうか。 　明治元 ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>11月3日は「文化の日」でお休みです。文化祭のシーズンでもあります。祝日法には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と書いてあるのですが、何に由来するのかはわかりません。もともとこの日は何の日だったのでしょうか。</p>
<p>　明治元年（1868）、旧暦9月22日の明治天皇御誕生日が「天長節」と名付けられました。その後同3年の太政官布告により祝日と定められます。ついで明治6年（1873）の正月から新暦を採用したことに伴い、天長節は11月3日に改められます。同年10月には祝日は「休暇日」と定められました。大正時代に入ると11月3日は祝日から除かれますが、先帝陛下を追慕敬仰する機運が高まり、大正9年に明治神宮が創建され、また大正14年に国柱会代表田中智学氏等が「明治大帝ノ御偉業ヲ永久ニ紀念感戴スル為メ、国家的祝日ヲ制定スベキ請願」を呼びかけ、昭和二年にあらためて「明治節」として祝日に加えられたのです。</p>
<p>　しかし、戦後GHQの占領下の昭和23年に成立した「祝日法」では明治節は「文化の日」として何とか残されたものの、前述のように「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という抽象的な文言となり、本来の意味がわからなくなってしまいました。これは残念なことだと私は思います。日本の歴史上特筆すべき明治という時代に我々の先人達が成し遂げた立派な業績を偲ぶためにも、この日の由来を知っていただきたく思います。（参考文献：「日本の祝祭日を考える」展転社）</p>
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